父親世代の青春時代、その日常に触れる
ソウル生活史博物館企画展「世代を超えた共感――チェ・ダルヨン(崔達龍)のソウル暮らし」
人間は誰しも自分に与えられた時空間に適応しながら生きていく。
異なる時代様相を心に秘めるさまざまな世代が共存しているのが、世の常、人の常だ。
ソウル生活史博物館は、ソウルでの暮らしぶりについて展示することにより、世代を超えた共感と交流の場を目指します。20世紀後半において、ソウルとソウルでの暮らしは急激な変化を強いられました。その変化をすべて経験したのが、植民地支配から解放された年の1945年に生まれたソウルの人々です。彼らの暮らしは「ハンガン(漢江)の奇跡」と呼ばれる驚異の経済成長を成し遂げた韓国社会の発展と、軌を一にします。
その世代のソウルの人、チェ・ダルヨン(崔達龍)の学校・職場・結婚生活などを通じて1950∼70年代におけるソウル暮らしに思いを馳せてみましょう。チェ・ダルヨン(崔達龍)は、ソウルとともに歩んだ人生を記録するために、自分の資料を収集し続け、その一部である1,181件をソウル歴史博物館とソウル生活史博物館に寄贈しました。青年だった頃のチェ・ダルヨン(崔達龍)が生きた日常と重要な人生の節目を一緒に振り返り、当時のソウルの世相と「お父さん世代」の青年時代の暮らしに共感するきっかけになれば幸いです。
第1部 ソウルとヘバンドゥンイ(1945年生まれ)の成長
韓国の現代史は、世界史を揺るがした2つの戦争である「アジア・太平洋戦争」と「韓国戦争」とともに始まった。1945年、35年間という長い植民地支配から解放された歓声とともに生まれた子供たち。そのつぶらな瞳がこの世に生まれて初めて目の当たりにした世界は、貧しく悲惨であった。3年間続いた戦争は1953年の休戦協定とともに終わりを告げたが、戦後復興は遅々として進まなかった。人々は、戦争の傷跡と貧困の連鎖から抜け出そうともがいたが、1950年代に政治は混乱を極め、暮らし向きはなかなかよくならなかった。四月革命と5・16軍事クーデターを経てパク・チョンヒ(朴正煕)政権が誕生し、韓日国交正常化(日本側の通称は「日韓基本条約」)とベトナム参戦があった1960年代半ばに入り、ようやく韓国経済は成長し始めた。1945年生まれはその時ちょうど思春期を迎え、政治的激動期である四月革命に参加した4・19世代となり、韓国の経済成長をけん引した産業化の第一世代であった。
第2部 避難先での長屋暮らしから弁理士になるまで
チェ・ダルヨン(崔達龍)はクァンファムン(光化門)の近くで2男3女の第四子として生まれた。5歳の時に韓国戦争が勃発、突然降り注ぐ爆撃の恐怖や頻繁に鳴り響くサイレンの不安を胸に、その戦争を記憶している。彼の家族は1950年12月、キョンブ(京釜)線の列車に乗って遅れ気味に南へと避難した。テグ(大邱)での避難生活は、家主の機嫌を窺っていた悲しい長屋暮らしや、教室もない学校でUNKRA(United Nations Korean Reconstruction Agency)から寄付を受けた紙の教科書で勉強した日々が、記憶として残っている。戦後、彼は家族と共にソウルに帰り、シンダンドン(新堂洞)のある集合不良住宅に十世帯余りと一緒に暮らした。
チェ・ダルヨン(崔達龍)は小学校6年生の1958年、ようやく正式な教育を受けることができ、「入試地獄」といわれる10代の学齢期を過ごす。貧しい家庭の事情にも屈せず、チェ・ダルヨン(崔達龍)は学業を終え、就職・結婚を通じて家庭を築いた。絶対貧困から抜け出すための経済成長が最優先課題であった1960∼70年代、人々は政府主導の「上からの近代化」路線に従い、飢えのない暮らしために昼夜を問わず働いた。試練と逆境を乗り越え、一代で財を成した1945年生まれは、「ハンガン(漢江)の奇跡」と呼ばれる驚異的な経済成長を成し遂げた当時の韓国社会の発展と軌を一にする。青年時代のチェ・ダルヨン(崔達龍)の暮らしを映し出す記録と資料から、1950∼1970年代における1945年生まれの暮らしの軌跡を辿ってみよう。
第3部 ソウルに暮らす人々
現代韓国における社会の変化は、よく「圧縮された近代化」と呼ばれる。これは、20世紀初中期、植民地化と戦争の試練を乗り越え、短期間で高度経済成長と政治的民主化を達成した韓国社会の変化が、類例を見ないほど急速に進んだユニークな事例であるためだ。「ハンガン(漢江)の奇跡」という言葉は、ソウルがまさにこの圧縮された近代のメイン舞台だったことを意味する。「経済開発5か年計画」が始まった年の1962年には100ドルにも満たなかった1人当たりGNIは40年目にして100倍の1万ドルにまで増えた。そして1953年に100万人足らずだったソウルの人口も、40年も絶たないうちにその10倍の1000万人を超えた。
20世紀後半の半世紀の間、ソウルが経験した桑田碧海の変化は、激動の時代が心の原風景となっているさまざまな世代の間で、甚だしく異なる価値観と世界観として表出される。1930年代に生まれた、植民地と戦争を体験した世代、1950年代に生まれた高度成長期世代、1960年代に生まれた民主化世代、1980年代に生まれた脱冷戦・情報化世代、1990年代以降に生まれたミレニアル世代とZ世代など。人間は誰しも世界に投げ出された存在であり、自分に与えられた世界に適応して生きていく。今日ソウルでは、「ハンガン(漢江)の奇跡」の出発点と到達点という遠く離れた距離と同じく、まったく異なる世相を心に秘めたさまざまな世代が共存している。同時代、同じ空間で生きているが、心は異なる時代にとどまっている、まったく異質の存在なのである。