クァントンギョ(広通橋)はクァントンバン(広通坊)にあることからその名が付けられ、今日のクァンファムン(光化門)-チョンノ(鍾路)-スンニェムン(崇礼門)をつなぐ都城内随一の橋でした。
当時、都城の中心地だったチョンノ(鍾路)周辺は、市場通りを中心に多くの商店と居酒屋が立ち並び、いつも多くの人が往来して、毎年都城の人々が橋踏みなどの民俗遊びを楽しみに訪れる名所でした。
日本による植民地時代に毀損され、1958年には覆蓋によって一度失われました。その後、チョンゲチョン(清渓川)を復元するときにクァントンギョ(広通橋)に対する発掘調査、実測、設計、復元が行われたことにより、2005年、再びその姿を取り戻しました。
朝鮮時代から今日に至るまでこの場所を守ってきた都城第1の橋、クァントンギョ(広通橋)の、約600年にわたる旅程を振り返りながら、チョンゲチョン(清渓川)の変化の様子、さらにはソウルという場所の持つ歴史を理解できる機会になればと思います。