史跡第271号に指定されたキョンヒグン(慶熙宮)は、朝鮮後期の離宮であった。1617年(光海君9)から建て始め、1623年(光海君15)に完成した。
キョンヒグン(慶熙宮)が建てられる前、この場所にはインジョ(仁祖)の父であるチョンウォングン(定遠君)の家があったが、この場所に王気(王が出るという予兆)が漂っているという噂があり、土地を没収して王宮を建てたという話が伝えられている。キョンヒグン(慶熙宮)の最初の名称はキョンドックン(慶徳宮)であったが、ウォンジョン(元宗)の諡号である「キョンドク(敬徳)」と同じ発音であったため、1760年(英祖36)にキョンヒグン(慶熙宮)に変わった。
ソウル市では1987年からキョンヒグン(慶熙宮)趾に関する発掘を経て、スンジョンジョン(崇政殿)など正殿地域を復元し、2002年から市民に公開している。
[キョンヒグン(慶熙宮)(史跡第271号) ソウル市チョンノ(鐘路)区セムナンロ55]
キョンヒグン(慶熙宮)の正門であるフンファムン(興化門)は、ソウル特別市有形文化財第19号に指定されている。1988年のキョンヒグン(慶熙宮)復元事業の一環として、フンファムン(興化門)をキョンヒグン(慶熙宮)跡地に移してきたが、本来の位置にはすでに救世軍ビルが建てられていたため、現在の位置に移転して復元した。
キョンヒグン(慶熙宮)の正門であるフンファムン(興化門)を通ると、宮内の殿閣に入る前にクムチョン(禁川)が流れていたが、そのクムチョン(禁川)に架けられていた石橋である。
キョンヒグン(慶熙宮)の正殿で、王と臣下たちの朝会や宮中宴会、使臣の接待など公式行事が行われた場所である。
キョンヒグン(慶熙宮)の便殿で、王と臣下たちの会議や経筵(経書の講義)など公務を遂行した場所である。
ヨンジョ(英祖)の御真影を保管していた場所である。本来は特別な用途が決められていない建物だった。
ソアム(瑞岩)はテリョンジョン(泰寧殿)の裏にある不思議な形をした岩である。岩の泉という意味を持つ「アムチョン(岩泉)」と呼ばれる泉がその中にあり、昔からキョンヒグン(慶熙宮)の名物だった。
9:00-18:00(休館日:1月1日、毎週月曜日)
無料
ソウル市チョンノ(鐘路)区セムナンロ45
+82-2-724-0274~6