史跡 「キョンギョジャン(京橋荘)」は、大韓民国臨時政府の活動空間であり、ペクポム(白凡)キム・グ(金九)先生が逝去した歴史の場所である。
ソウル市は大韓民国臨時政府の最後の庁舎であり、ペクポム(白凡)キム・グ(金九)が逝去した歴史的な場所であるキョンギョジャン(京橋荘)を、韓国の近現代史の歴史スポットとして蘇らせ、市民の教育空間として活用すべく原型に復元した。
また、内部を臨時政府の歴史が一望できるような展示空間として構成し、2013年3月2日(土)から公開している。
キョンギョジャン(京橋荘) - 史跡
所在地:ソウル市チョンノ(鐘路)区セムンアン路29、カンブク・サムスン(江北・三星)病院内
規模:〔土地〕396㎡、〔建物〕1棟(地下1階・地上2階/総面積945㎡)
建立年代:1938年
火曜日~日曜日、9:00-18:00 (休館日:1月1日、毎週月曜日(祝日の場合は開館))
無料
ソウル市チョンノ(鐘路)区セムンアン路29
+82-2-735-2038
韓国語、日本語、中国語の解説が可能です。 京橋荘に電話して予約してください。(+82-2-735-2038)
臨時政府の魂が息づく場所
キョンギョジャン(京橋荘)は、日本による植民地時代に鉱山業で大きな富を蓄えたチェ・チャンハク(崔昌学)により1938年に建てられた。
1945年に大韓民国臨時政府が帰国すると、キョンギョジャン(京橋荘)は臨時政府の活動空間およびキム・グ(金九)主席と臨時政府の要人たちの宿所として使われるようになった。
1949年にキム・グ(金九)主席がキョンギョジャン(京橋荘)で逝去した後は、中華民国大使館邸やベトナム大使館などに使用されたが、1967年から病院施設として使用された。
この時期にキョンギョジャン(京橋荘)は病院として内・外部を改造し、原型が変化した。
1919年3月1日、韓国民族は日本による植民地支配を否定し、「独立国」であることを対内外に宣言した。そして国号を「大韓民国」に定めて臨時政府を樹立したが、これがすなわち大韓民国臨時政府である。
1945年11月、 韓国に帰ってきたキム・グ(金九)と臨時政府の要人たちはキョンギョジャン(京橋荘)で南北の力を合わせ、自主統一の具体案を完成させるために国務委員会を続け、信託統治反対運動を推進した。また、キム・グ(金九)は統一政府樹立のために南北交渉に参加するなど、最後の努力を行っていた中、1949年6月26日、キョンギョジャン(京橋荘)で大韓民国陸軍少尉アン・ドゥヒ(安斗熙)の凶弾により逝去した。
地上1・2階は『LIFE』誌などの各種史料をもとに、臨時政府当時の姿で各施設を再現している。