チョンゲチョン(清渓川)フリーマーケット、ファンハクドン(黄鶴洞)
小川がオガンスムン(五間水門)を通ってヨンドギョ(永渡橋)に至った所で、ファンハクドン(黄鶴洞)フリーマーケットが行われます。フンインジムン(興仁之門)、クァンヒムン(光熙門)へとつながる道にあるファンハクドン(黄鶴洞)は、昔からワンシムニ(往十里)とトゥクソムで栽培された野菜を売る市場として大いに栄えていました。1960年代にチョンゲチョン(清渓川)の覆蓋工事が進められ、3・1アパートが建設され、その裏通りには軍服・時計・カメラのような日用品から真鍮の器や鉄アイロンのような骨董品に至るまで中古品を取り扱うファンハクドン(黄鶴洞)フリーマーケットが形成されました。まさに古い品物を売る「ノミの市」であるとともに、売っていないものがない「万物市場」が生まれたわけです。しかしチョンゲ(清渓)高架道路が撤去され、住商複合ビルが建設されてからは、生きた生活史博物館であったファンハクドン(黄鶴洞)フリーマーケットのにぎやかだった風景はおぼろげな過去の記憶となりました。そこでチョンゲチョン(清渓川)博物館では、思い出の品物や懐かしい風景を再びよみがえらせる「チョンゲチョン(清渓川)フリーマーケット、ファンハクドン(黄鶴洞)」を展示します。
<東門の外の村、トゥモバン(豆毛坊)からファンハクドン(黄鶴洞)へ>
ファンハクドン(黄鶴洞)という地名が初めて登場するのは1943年、京城府が行政区制の実施により名付けた「シンダンジョン(新党町)のファンハクジョンフェ(黄鶴町会)」である。現在のファンハクドン(黄鶴洞)一帯は朝鮮時代半ば(朝鮮初期から成宗の代)まで禁標区域として定められ、伐採・耕作・居住・放牧などが禁止されていた。ファンハクドン(黄鶴洞)はトンデムン(東大門)やクァンヒムン(光熙門)に近く、背後にワンシムニ(往十里)やトゥクソムがあることから市場としての潜在力を秘めた場所であることがわかる。トンデムン(東大門)の外から都城内に運ばれてくる各種野菜を比較的安い価格で買えることから、ファンハクドン(黄鶴洞)一帯はいつも人出でにぎわっていた。
<現代史を通じて見るフリーマーケットの痕跡>
韓国戦争後、人々は生計を立てるために戦後に溢れていた軍需品や古物をファンハクドン(黄鶴洞)で売り買いした。都心ではデパートや総合市場が発達したため、ファンハクドン(黄鶴洞)は庶民向けの安い中古品を売買したり、都心周辺の市場と連携した流通の最終段階として定着した。1970年代には骨董品、1980年代以降には中古品と取り扱う品物は変化したものの、フリーマーケットはさらに発展した。このようにしてファンハクドン(黄鶴洞)と言えばフリーマーケットをはじめ、各種中古品を取り扱う市場として人々に認識されるようになった。
<フリーマーケット、売っていないものがない!>
フリーマーケットは中古品市場の代名詞であり、韓国のファンハクドン(黄鶴洞)フリーマーケットは「アリ市場」「トッケビ市場」「万物市場」「ノミの市」「最後の市場」などとも呼ばれていた。チョンゲチョン(清渓川)復元事業以前の2000年代初期まで、ここはいつも足の踏み場もないほどに大勢の訪問客と、それよりももっと多くの中古品が積み重ねられていた。チョンゲチョン(清渓川)の覆蓋工事後、バラック群で暮らしていた人々があちこちから再び集まり、3・1アパートが建設され、ファンハクドン(黄鶴洞)一帯はフリーマーケットの中心地となった。特に1980年代以降には3・1アパート16棟の裏通りに形成されたフリーマーケットが全盛期を迎え、「黄金路地」と呼ばれていた。
<ファンハクドン(黄鶴洞)への礼賛>
一般的なフリーマーケットは週末や特別なイベントを兼ねて開かれることが多いが、ファンハクドン(黄鶴洞)の場合は常設市場である。昔から現在に至るまで韓国の中古品流通の中心地として、周辺の商人たちは、故障した物でもフリーマーケットで修理することで商品価値を高めた。すなわち数十年間蓄積された技術をもとに、各分野の専門家となったわけだ。骨董品の価値を判断する目、時計やカメラなどの製品を修理する技術など、ファンハクドン(黄鶴洞)フリーマーケットの歴史とともに、彼らの経験とノウハウも蓄積されてきた。
<現在のファンハクドン(黄鶴洞)フリーマーケット>
フリーマーケットは、何か目当ての物があって行くというより、見て回って、触ってみて、予算内で買える物であれば買うというのが普通。「中古品」を売り買いすることは、その品物に刻まれた昨日の跡と今日の効用、そして明日の価値を同時に売り買いするという意味を持つ。チョンゲチョン(清渓川)周辺のファンハクドン(黄鶴洞)で栄えたフリーマーケットは、チョンゲチョン(清渓川)復元事業後に衰退はしたものの、現在まで生き残り、周辺のトンミョ(東廟)やソウル風物市場まで範囲を広め、商人や消費者たちに「韓国の代表的なフリーマーケット」「機会の場」として変わらず親しまれている。