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開港、大韓帝国時代のソウル (1863~1910)

伝統に基づき皇都を夢見る

  • ソウル、世界に門戸を開く

    ソウル、世界に門戸を開く

    1876年に江華島(カンファド)条約を締結した後、朝鮮は米国、ロシアなどと通商関係を結び、世界の舞台に飛び出した。新しい文物の導入をめぐって内部では対立があったが、政府は反対勢力を抑え込みながら列強との関係を拡大していった。1880年代半ばからは、ソウルに外国人居留地が形成されたほか、外国を旅して帰ってきた韓国人も現れるなど、人々の生活の中に徐々に異国的な要素が浸透していった。

  • ソウルの心臓部、貞洞

    ソウルの心臓部、貞洞

    1897年、高宗は大韓帝国建国を宣布し、ソウルを帝国の皇都にふさわしく改造しようとした。慶運宮と貞洞は、伝統と近代文化の共存を追求した大韓帝国の改革理念を表す代表的な空間だった。

  • 文明開化の街、鍾路(チョンノ)

    文明開化の街、鍾路(チョンノ)

    1897年、高宗は大韓帝国建国を宣布し、ソウルを帝国の皇都にふさわしく改造しようとした。慶運宮と貞洞は、伝統と近代文化の共存を追求した大韓帝国の改革理念を表す代表的な空間だった。1896年、鍾路では、道の両側にぎっしりと並んでいた商業用仮設建物が撤去され、多様な近代文物が流入し始めた。円覚寺の跡には近代的な公園が整備され、電柱が並び、電車の線路と街灯が設置された。時間が経つにつれて洋風の建物も増えていった。このような変化の中で、人々は徐々に近代文明を体験するようになった。

  • 皇城の夢

    皇城の夢

    大韓帝国の時代になり、ソウルは伝統と近代が調和した都市に変わろうとしていた。そこで、ソウルの各地には、圜丘壇 〮記念碑殿 奨忠壇など、独立と皇権を象徴する施設が建てられた。一方、漢城電気会社など、洋風の社屋も増えていった。ところが、日本は1904年に日露戦争を起こし、ソウルを占領。大韓帝国の都市改造構想はとん挫した。