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高度成長期のソウル(1945~2002)

奇跡の復興を遂げた巨大都市

  • 解放と戦争、ソウル

    解放と戦争、ソウル

    1945年、日本の支配から解放されたソウル市民は万歳を叫び喜んだ。そして、しばらくの米軍政時期を経て1948年に単独政府が樹立されたが、喜びもつかの間、1950年に韓国戦争が勃発してソウルは廃墟と化した。

  • ソウルは満員だ

    ソウルは満員だ

    休戦直後の1954年に124万人だったソウルの人口は、働き口を求めて上京する人が増え、1960年には244万人を超えた。これにより多くの問題も発生したが、急激な人口増加はソウルの都市化を加速させ、ダイナミックな変化をもたらす背景となった。

  • 大々的な工事の推進

    大々的な工事の推進

    韓国戦争後の戦災復旧事業は、1960年代に入って都市開発事業へと移行した。1961年5月16日の軍事政変以降、政府は経済開発政策を積極的に推進した。そして1966年3月に就任した金玄玉(キム・ヒョノク)ソウル市長が掲げた「突撃建設」の旗印の下、ソウル各地で大々的な工事が進められた。

  • 漢江開発と汝矣島(ヨイド)

    漢江開発と汝矣島(ヨイド)

    1960年代半ば、ソウルの急速な膨張により、汝矣島と江南(カンナム)を中心とした漢江(ハンガン)開発が進められ、ソウルの景観が大きく変わった。1967年に始まった汝矣島開発計画は、最初の頃は理想だけを追い求め実現可能性が低いものだったが、1971年に政治や安全保障上の必要性を踏まえたものに見直された。そして、1976年以降は放送局やビジネスセンター、大企業の本社が立ち並び、汝矣島は「ソウルのマンハッタン」と呼ばれるようになった。

  • 江南(カンナム)開発

    江南(カンナム)開発

    まだ未開発の地域だった、漢江の南側であり永登浦の東側となる地域、 すなわち「嶺東(ヨンドン)地域」は、京釜(キョンブ)高速道路の建設を機に「江南地域」として開発が始まった。同地域の開発を促進するため、江北(カンブク)より江南地域の開発を優遇する様々な施策が展開された。そして、不動産投機ブームも一役買って江南は「チャンスの地」となり、中産階級が「江北脱出」「江南入り」をして人口移動が盛んになった。

  • 瑞草三湖(ソチョサムホ)アパート9棟000号

    瑞草三湖(ソチョサムホ)アパート9棟000号

    70年代に入ってからアパートが普及し、アパートは韓国独特のスタイルに変わっていった。1978年に入居が始まった瑞草三湖アパートは、1970年代の江南のアパートの典型で、この時代の住宅文化をよく表している。リビングを中心に部屋、玄関、台所が配置された移動が容易な間取りは、西洋のアパートの構造が韓国のライフスタイルに合わせて変化したものである。

  • 開発の時代を過ぎて

    開発の時代を過ぎて

    1990年代の聖水(ソンス)大橋と三豊(サムプン)百貨店の崩壊事故により、開発ありきの都市発展に対して反省する動きが起き、人々は歴史 〮文化 〮環境に関心を向け始めた。2002年には韓日共催のFIFAワールドカップが 開催され、ソウルは世界の中の巨大都市に成長した。