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日帝強占期のソウル (1910~1945)

近代都市化の影

  • 奪われた首都、京城(キョンソン)

    奪われた首都、京城(キョンソン)

    日帝は、韓国を自国の領土に編入して永久支配を図る一方で、大陸侵略の足場として利用しようとした。植民地支配を正当化するために国の様々なシンボルを利用し、自国の必要に応じて植民地開発の方向性と優先順位を決めた。また、都市行政と都市管理においては、常に日本人の利益を優先した。

  • 抗日民族運動の中心

    抗日民族運動の中心

    日帝強占期のソウルは常に抗日民族運動の中心地だった。1919年に民族挙げての3.1独立運動に火がついたのも、義烈団をはじめとする抗日義士が立ち上がった場所もソウルであった。このころ、鍾路YMCAと楽園洞(ナグォンドン)天道教大教堂は民族意識を高め、独立運動の土台を築く本拠地であった。

  • 京城都市紀行

    京城都市紀行

    植民地権力は、京城の都市空間を変えていった。新しく整備されていった都市は、韓国人と日本人の間に「不潔/清潔」、「没落/繁栄」、「陰湿/活気」、「野蛮/文明」の顕著な差があるかのように認識させるものだった。韓国の人は、差別を受けながらも、近代的施設と文物を憧れの眼差しで見つめた。

  • 京城を襲った戦争の影

    京城を襲った戦争の影

    1937年に中国本土侵略を開始した日本は、1941年にはアジア全域に戦線を拡大した。戦争は京城にも暗い影を落とし始めた。京城という巨大な収容所に閉じ込められた人々は、極度の貧しさの中でも強制貯蓄と 供出により財産を奪われ、いつ戦場に駆り出されるかわからない不安に怯えながら思想教育や強制労役に苦しんだ。